どのように私は、逆ネジを作るのですか
天邪鬼の効用 "普通"でないから面白い ずくなし/ウェブリブログ
天邪鬼の効用 "普通"でないから面白い「あまのじゃく」という言葉がありますね。漢字で書くと「天邪鬼」なかなか恐ろしそうな名前です。各地に伝わる「うりこひめとあまのじゃく」の民話では、天邪鬼は瓜子姫を攫って殺してしまう悪い奴として描かれます。
しかし私たちが実際に目にする・・・と言っても目にしても気がつかないことも多いのですが・・・「あまのじゃく」あるいは「あまんじゃく」はどちらかというと憎めないタイプの奴が多いんですね。
では私たちはいったいどこで、あまりソレと意識せずに「天邪鬼」を目にしているのか?
超常現象とかではありません。美術彫刻の中に描かれているものです。ここでの「あまんじゃく」は、たいがい何とも情けない格好でひっくり返されて、情けない顔をしている姿を見かけるからです� ��
いったいどこで・・・?
正義のヒーローの足元で、です。例えばこんな具合に。
「あまのじゃく」にはもう1つ、民間起源なのだと思いますが、ちょっと面白い意味があります。わざと人と違うこと、まるで反対のことを言ったり、別の行動を取ったりするヒネクレ者を「あいつはアマノジャクだ」なんて言ったりします。
実はいま、ここで考えてみたいのは、実はこちらの方の「アマノジャク」、つまり意識的に常識と逆方向に考えたり行動したりすること、の方なのです。
「逆転の発想」を逆転する
昔、僕が高校生の頃ですが『逆転の発想』という本がブームになりました。
大昔読んだ記憶で正確でないかもしれませんが、糸川英夫氏のベストセラーで「社会・企業・商品はどう変わる」という副題からも見えるように、ビジネス成功法則として通常の常識的思考とは逆の発想でこんなサクセスがあったよ、またこれからも、こんな風にするとうまくいくかもしれないよ、といった内容だったと思います。
ハイティーンだった僕も、なるほど、と思いながら、でも似たようなことは俺だって今もしてるじゃん、なんて考えたりもしたのです。というより、むしろこの本よりこっちの方が一〜二枚上手かな、なんて子供ですから勝手なことを考えました。
あれから30年ほど経ち、歴史も世間も大きく変わりました。そこから振り返っての後知恵ですが、当時子供だった僕が思った最初の勘も、実は案外外れていないのではないか、とも思うのです。
どういうことか、というと「逆転しよう」じゃないんですね。
逆転は当たり前、当然のことで、逆転の逆転としてもう一度「順転」も見直してみたり、まあおよそありとあらゆる可能性が一通りあって、その中のごく一部として、単発の「逆転」があるに過ぎないのだから、というわけ。
「逆転」を得意がって言うのではなく、逆転の逆転も考えるのがスターティングポイントだというわけです。
どうしてそんなヒネくれたことを考えたのかというと、僕の生まれつきの� ��癖というか、身体的な特徴に原因があったんですね。
「二刀流」家庭教師術
僕は生まれつきの利き手が左手です。いわゆるギッチョ、左利きです。親が教師だったので、左利きを無理やり矯正するのはよくない、という考えで、そのまま放ったらかして育てられました。
ですから、書くのもお箸もみんな左手です。親に矯正されるのではなく、むしろ自分からいろいろ考えて「矯正」を試みてみました。
左でも右でも同じように物事ができれば素敵じゃないですか。実のところ、お箸でも鉛筆でも、何でも右手でも左手でもできます。
というより、鍋物のときなど両手に箸を持ってカニのような格好をすると子供にウケますし、昔家庭教師のアルバイトをしていたときは「二刀流」が大変役に立ちました。
右手に赤鉛筆、左手に青鉛筆を持って、両手で生� �の答案を添削するのです。さっさと処理できて速い。家庭教師で伺うお家によってはコタツで向かい合わせで教えることもある。
そんなときは、対面の生徒の答案に上下逆に数式を書いて、赤と青、両手でチョコチョコやると、それが面白いようで生徒が感心して見ていて、それで時間が過ぎていたような気もします(冷汗)。
僕はダヴィンチのように裏向きの字が反射的に自在に書ける、なんてことはないのですが、右手で同じことをやりながらなら左手で裏字を書くのは何でもないことなので、子供が飽きてくるとそんなことをしてみたり(それを鏡に映してみるとどんなかな〜なんてやると、面白がってくれます)まあいろんなことをしてみせました。
楽器を弾いたりするうえでは、この二刀流という特技は役に立ち、また40歳を回る頃に解剖学を学び、両手にメスを持ってご献体に執刀させていただいた時などは指導していただいた先生から「整形外科医は二刀流じゃないと務まらないから、伊東先生は才能あるよ」なんてオダテてもらったりもしましたが、実はそんなメリット以前に私たちギッチョに� ��、過酷な日常という幼児からの試練が待ち受けているのです。
すべてがサカサマの世界
ほとんどの人が全く意識しないと思うのですが・・・少なくとも、すべての右利きの人は考えることがないと思います・・・この社会は全般に「右利き用」に作られています。
箸や鉛筆はまだいいんです。どっちも棒でしょう?
大して違いはないんです。問題は「右ねじ」と「左ねじ」で世界が違う種類のことがら・・・例えばハサミです。
右利きの人が普通に使えるハサミを、私たち左利きは左手で使います。ということは、紙一枚切るのでも、実はかなり不自然なこと、つまり「逆転の逆転」で力を「逆に正常に」かけて、僕たちは普通の道具を使っているわけですね。
ねじ回しなどの工具、ドアノブ、自動車のドライバー席など各種機材の運転装置。自動改札口の切符を� �い込む口まで、ありとあらゆるものが「さかさま」についている。そこにマイノリティのさかさま人間である私たちは、むりやり自分の体を同化させていかねばならない。
こうなると、2つのことが必要になります。
第1は、普通の人なら放ったらかしで、大して訓練しない「利き手でない方の手」つまり右手を訓練して使うようになる・・・これは実際僕自身もしたことです・・・というのと、左手を二重にヒネるようにして、普通の人の何倍か変てこりんなことをしながら、普通の人並みのことをする・・・これまた、実際に僕自身が、生活の大半でしていることです・・・という、両方をやっているわけですね。
音楽の言葉で言えば、僕は指揮棒を右手で持ちます。普通に右手で指揮をする。なぜか、といえば、指揮というのは見られてナンボの世界です。
楽員さんに受け取られやすいようにサインを出すのは一の一、ということで、これは右手優位で修業してきました。
チェロ も普通に、右手で弓を持ち左手で弦を押さえて弾きます。
左利きと音楽というと、やはりギッチョのポール・マッカートニーが左右逆のベースを弾くようなケースを思い浮かべられるかもしれませんが、あれは我流でポップスを一から作っていったからできた話で、古典的に完成された器楽を左右逆で演奏するのは、まあ不可能に近いし、やってよいことが多いとは思えません。
その点、ピアノなどの鍵盤楽器は普通に両手を使うので、これは楽でいいですね。
ちなみに子供の頃、野球などは大変に下手でしたが、バットも右手が基本、これは必要なら左手でも打てます。何と言っても振りぬく方向が3塁側の方が、足の遅い僕には楽だったので、そんな風にしたんですね。
ところがサッカーボールは左足で蹴る� �が強い。バスケットのドリブルは左じゃないとダメ、右手だとのろくサしてるあいだに・・・あらゆることは、左が圧倒的に優位で、右は不器用な模倣しかできないので・・・球を取られてしまう。そんな具合です。
こんな具合で、物心ついた直後から、毎日毎秒ネジクレ曲がったものの見方で世界と接せざるを得なかった僕の目からは、糸川というおじいさん(でした、当時は。失礼!)の「逆転」、この程度で偉そうなこと言っちゃダメだよ、といったレベルに映ったのは、正直なところだったわけです。
「逆転」なんて甘っちょろいことを言っていては、卵焼き一つ焼けないよ、という実感のあった僕には・・・僕は小学校1年で父が亡くなってこの方、男女7歳にして席を同じうせず、じゃない、男7歳にして毎日自分の分の飯を食う必然で厨房に入ってこのかた・・・母は教師でしたので夏休み中などは家で1人で・・・あらゆる料理器具が基本右利き用にできているのを、やはりひっくり返してこねくり返して・・・では仕事になりませんので、逆転の逆転で使い回しながら、世間の99%のことは上下左右あらゆる角度から繰り返しひっくり返して考えるのが、常になってしまったわけです。
「転倒戦略」。
ただ1度ひっくり返せばいいんじゃないんです。金剛力士像が踏んづけ� ��いる「あまんじゃく」を考えてみてください。アレは人間の煩悩の姿だそうです。煩悩は融通無碍ですよね、いろんな形を取る。
その無定形の「オニ」を、あっちからもこっちからもひっくり返す。柔道の達人が自在に足を掛けてゆくように、あらゆるものを常時「転倒」し続けていくこと。
そこから僕のものづくり、音楽づくり、あるいはモノを考え、行動し、先に進んでいく、ありとあらゆるベースが導き出されてくるんですね、実のところを言いますと。
毎週毎月毎年、結構な量の仕事をしているわけですが、全部自分の手を動かしてやっています。
単純に労働として量が多いというのもありますが、連載の新しい編集担当者など「よく毎週、あれだけ違うことを書き続けてネタが尽きませんね、いっ� ��いどういうアタマの構造してるんですか?」なんて毎年聞かれますが、アタマの構造・・・も少しは関係ありますが・・・という以上に、カラダとアタマが世の中とズレて生まれてきてしまった、ギッチョというこの世間に住みにくい「アマノジャク」として、あらゆることを二転三転、ひっくり返して生きてきた中から、どんなことがあっても思考を停止しないコツ、みたいなものを体得してきた経緯があります。
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